学生脳からの脱却

僕の社会人生活は公立高校の非常勤講師からスタートしました。

学生時代は将来に展望がなく、ろくに就職活動もしなかったので、なんとなく取得した教員免許と、部活の先輩のつてを使って、兵庫のとある県立高校で働くことになりました。

社会に出るための準備というか、仕事に対する心構え的なものがまったくできていなかったので、いざ働き始めると色々と社会の洗礼を受けることになります。

僕は保健体育が専門だったので、体育教官室に通っていたわけです。当時は就職氷河期時代が終わりかけのころで、年の近い先輩がほとんどおらず、他は2まわりほど年の離れたベテランの体育の先生たちばかり。そんな中に、何もわかっていないうえに、使えそうにない新人が入ってきたわけです。

正教員ではない講師というのは期限付きなので、1年契約です。その間に教員採用試験の勉強をして合格すれば来年から正教員としてどこかに配属されることになります。

ただ、僕の場合はなんとなく非常勤講師の仕事をすることになったので、採用試験は受けるものの、別に教員になりたいという想いも大してありませんでした。

そんな中、体育教官室で来年の話題が出た時、僕は

「大阪の採用試験を受けようと思っている」

という話をベテランの体育の先生にしました。

するとその先生の答え

「なんで大阪を受ける奴を兵庫で面倒みなあかんねん」

「・・・」

で、

その後僕がどうしたかというと、

兵庫県の採用試験を受けました。

大阪に住んでいたし、出身も大阪で、大阪の採用試験を受けたいと思っていたのにです。

なぜ兵庫にしたのか。

気まずいので仕方なくというのもありましたが、そのベテラン先生に言われた言葉が当たり前すぎて、自分の中で兵庫の採用試験を受けるという以外の筋の通った選択肢が考えられなかったのです。

決して冷たい方ではなく、やる気のある奴、うちで頑張る気のある奴、そんな若者ならとことん教えたるでって感じの怖いけど面倒見の良い方なんです。

僕はただただ、何の考えもなく兵庫で働き、自分のことだけを考えて大阪で試験を受けようと思っていました。

が、やっぱり社会に出て仕事をするってことになると、180度反対で、人のため、社会のために自分が何ができるかって発想が必要で、そこに価値があると思うのですが、学生脳ってこういう切り替えができていないことかなって今更思います。

もちろんプロの世界は決まった期限の中で、きっちり結果を出せばよいので、僕も1年間の非常勤講師という仕事をきっちりやれば良いだけの話です。

正教員だけで穴埋めできない隙間を臨時で対応する。で、その分の報酬をもらう。1年の契約終了後は別の仕事をする。

ただ、学校を出たてで、人のため、社会のために通用するスキルも身についていない新人ができることといえば、その職場内でまわりの方に役立つことはなんでもやろうという心構えで、言われたことを一生懸命やるとか、今後の意気込みを見せてフレッシュな空気感を作るとか、そんなことでしょう。

そういう期待感があれば、先輩方も仕事を色々と与えてくれて、やり方も教えてくれるでしょうが、何のスキルもない新人が腰掛けでやってきても教える気になるわけがありません。

そのベテラン先生はハッキリと言ってくれたので僕は「あっ」て気づくことができましたが、こういうふうに思われていても口に出して言われないことも多いと思うので、僕にとっては良い経験でした。

結局採用試験も受からず、教員になりたい想いも高まらなかったので、その後も迷走しながら、広告、イベント業界の一般企業で働くことになりましたが、そこでもまた色々な洗礼を受け、かなり大きな仕事を失うという経験を経て、ようやく学生脳から脱却できたのは社会人生活をスタートしてから5、6年は経っていたと思います。

自分中心から相手中心、顧客中心の発想の切り替えが学生脳からの脱却かなと思っているのですが、ここの切り替えさえできてしまえば、知識や経験の不足からうまく成果に結び付けられないことはありますが、仕事をしていくうえではなんというか、とんでもないミスはしなくなるし、仕事を失うことも少なくなるんじゃないかなと思います。